株とか
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カパーパがオンピラに現れたかどうかが今の最大の関心事項だよ。
しびれを切らして2キャラ目の育成を初めからやり直したりしていたら未だにレベル1とかなかなか言えないぜ。
まあそれはそれとして。
備忘録とか色々とあった訳だがそれは忘れてまた思いついてクスクス笑う事にしたい。
複数人格を一個の箱に詰める遊びの話について。
アパートメントに突っ込んで統合者がどうこうという教授様の話はいろんな意味で新鮮だったけど味気ねえええええとか思ってたら普通の手法だって事に気が付いてがっかりしたんだ。それはいつもやってる仮面の付け替えとかピークの分散と同じ手法で詰まらねえとか思ってたら「統合者は自我がない」ってオチに盛大にスタイルフリー吹いた。
言われてみれば、確かにその通りなんだぜ!?
正確には自我というよりは極端な感情の振り幅があるだけで平時はフラットになるというだけの話なのだけど。意図してないと感情を忘れそうになるとか現実感が得られないとかドラえもんが通ったのかよここ。落とし穴だらけじゃねえか。おい先生、この道ダメだ、人が死ぬぞ。舗装してくれ。
仮の人格を頭に突っ込むのはよくやる事なので違和感はないんだけど、用法、用量を守って正しく使えてるかははなはだ疑念。そのうち全部が混沌として独立した性格ではなくただのカオスになってみたり、それどころか感情の振れ方で突然顔を出してみたりするようになるのが問題だよなあ。いやそれは問題ではないのか。適切に使用出来ないのが問題なのか。まあそれは今後の検討事項という事で。
つまりこれはモデル化して検証しているのだと言い訳しておく。ちなみに本来の自分なんてモノはない、というかこれはバージョンアップなので仕方がないと思います。
つうかお前らの言う「本来の〜」とか「真の〜」ってのはただの願望だ。忘れるな。
というか俺としてはデビルサマナーのコロボックルの爺さんに「自分探しの旅?お前さんはそこにおるじゃないか」と言われたトラウマを未だに引きずってるので当分自分探しはしない。でも望み通りに生きられないから生きたくない、つーか死にたいとか言っちゃうんだよなあ。根っこは同じなのにな。自分探しや自己啓発と自殺願望はベクトルは違うけど根っこは同じなんだ、前の二つは不明瞭な状況下で素敵なサムシングを探しているのだけど、後者は明確、もしくは不明瞭な素敵なサムシングを探すのを諦めただけなんだ。どっちも幸せになりたいだけなんだろうにな。
初めからそんなものはないって知ってれば楽なのにね。可哀想な話。
希望を諦めたり棄てたり出来ないから絶望する訳でね、夢も希望も気が付いたら忘れてるような気楽さで清濁併せ呑んで生きていれば不幸も絶望もない不思議な世界に行けるよ。もれなく幸福と希望も剥奪されるけどね。そんなもんなくてもまぁまぁ惰性で生き抜けるけどね。どっちかというと俺はリスクヘッジしたいから何も要らない。足さないし、引かない。「ああ、もうちょっとここに居たいんだけどな」っていう後ろ髪引かれるくらいの充足でいいのさ。あまりハマると身を滅ぼすよ、キャバクラ通いとか、ギャンブルとか、そういうことしてるとよく耳にする言葉だけど、概念としてのフレームは他の事に転用しても通じる。
根本的なパラダイム・シフトはアーリーなんとかとか、天才に任せておけばいい話でさ。そういうのになりたいなら俺は止める気はないけれど、俺なら概念の転用を強力に押し進めるけどなあ。包丁一本でマグロ解体するのと同じでさ、この技術を高めておけば俺みたいなのでもそこそこ汎用性がつくと思うんだよね。保証はないけど。
あー。わかんないかもしれないけどイメージで言うと「概念のメドローア」みたいなものが出来上がると思うんだよ、このスキルを高めていけば。そもそもこの概念の概念を成立させた時点で近い所にいる気もするけれど。ピーキーで使いどころに困る格言なんかより、適当に使うだけで8割型の物事を解決出来る格言の方がよっぽど価値があるような気がするよ。俺がずぼらなだけか、そうか。
つまり何が言いたいのかって言うと、「ダイの大冒険」は色々な意味でエポックメイキングなファンタジー世界の構築を為したんじゃないかと思う訳です。
とりあえずオチが投げっぱなしでも気にしない。おやすみ。
しびれを切らして2キャラ目の育成を初めからやり直したりしていたら未だにレベル1とかなかなか言えないぜ。
まあそれはそれとして。
備忘録とか色々とあった訳だがそれは忘れてまた思いついてクスクス笑う事にしたい。
複数人格を一個の箱に詰める遊びの話について。
アパートメントに突っ込んで統合者がどうこうという教授様の話はいろんな意味で新鮮だったけど味気ねえええええとか思ってたら普通の手法だって事に気が付いてがっかりしたんだ。それはいつもやってる仮面の付け替えとかピークの分散と同じ手法で詰まらねえとか思ってたら「統合者は自我がない」ってオチに盛大にスタイルフリー吹いた。
言われてみれば、確かにその通りなんだぜ!?
正確には自我というよりは極端な感情の振り幅があるだけで平時はフラットになるというだけの話なのだけど。意図してないと感情を忘れそうになるとか現実感が得られないとかドラえもんが通ったのかよここ。落とし穴だらけじゃねえか。おい先生、この道ダメだ、人が死ぬぞ。舗装してくれ。
仮の人格を頭に突っ込むのはよくやる事なので違和感はないんだけど、用法、用量を守って正しく使えてるかははなはだ疑念。そのうち全部が混沌として独立した性格ではなくただのカオスになってみたり、それどころか感情の振れ方で突然顔を出してみたりするようになるのが問題だよなあ。いやそれは問題ではないのか。適切に使用出来ないのが問題なのか。まあそれは今後の検討事項という事で。
つまりこれはモデル化して検証しているのだと言い訳しておく。ちなみに本来の自分なんてモノはない、というかこれはバージョンアップなので仕方がないと思います。
つうかお前らの言う「本来の〜」とか「真の〜」ってのはただの願望だ。忘れるな。
というか俺としてはデビルサマナーのコロボックルの爺さんに「自分探しの旅?お前さんはそこにおるじゃないか」と言われたトラウマを未だに引きずってるので当分自分探しはしない。でも望み通りに生きられないから生きたくない、つーか死にたいとか言っちゃうんだよなあ。根っこは同じなのにな。自分探しや自己啓発と自殺願望はベクトルは違うけど根っこは同じなんだ、前の二つは不明瞭な状況下で素敵なサムシングを探しているのだけど、後者は明確、もしくは不明瞭な素敵なサムシングを探すのを諦めただけなんだ。どっちも幸せになりたいだけなんだろうにな。
初めからそんなものはないって知ってれば楽なのにね。可哀想な話。
希望を諦めたり棄てたり出来ないから絶望する訳でね、夢も希望も気が付いたら忘れてるような気楽さで清濁併せ呑んで生きていれば不幸も絶望もない不思議な世界に行けるよ。もれなく幸福と希望も剥奪されるけどね。そんなもんなくてもまぁまぁ惰性で生き抜けるけどね。どっちかというと俺はリスクヘッジしたいから何も要らない。足さないし、引かない。「ああ、もうちょっとここに居たいんだけどな」っていう後ろ髪引かれるくらいの充足でいいのさ。あまりハマると身を滅ぼすよ、キャバクラ通いとか、ギャンブルとか、そういうことしてるとよく耳にする言葉だけど、概念としてのフレームは他の事に転用しても通じる。
根本的なパラダイム・シフトはアーリーなんとかとか、天才に任せておけばいい話でさ。そういうのになりたいなら俺は止める気はないけれど、俺なら概念の転用を強力に押し進めるけどなあ。包丁一本でマグロ解体するのと同じでさ、この技術を高めておけば俺みたいなのでもそこそこ汎用性がつくと思うんだよね。保証はないけど。
あー。わかんないかもしれないけどイメージで言うと「概念のメドローア」みたいなものが出来上がると思うんだよ、このスキルを高めていけば。そもそもこの概念の概念を成立させた時点で近い所にいる気もするけれど。ピーキーで使いどころに困る格言なんかより、適当に使うだけで8割型の物事を解決出来る格言の方がよっぽど価値があるような気がするよ。俺がずぼらなだけか、そうか。
つまり何が言いたいのかって言うと、「ダイの大冒険」は色々な意味でエポックメイキングなファンタジー世界の構築を為したんじゃないかと思う訳です。
とりあえずオチが投げっぱなしでも気にしない。おやすみ。
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